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実家がそこそこ近かったので思春期の頃に友達と見学に行こうとビルの2階へ上がろうとしたら、2階から「ギャアー!!」とか「ウワアー!!」とか悲鳴が聞こえて来て、ビビって友達と見学する事なく退散したのはいい思い出。
高校2年の時に本屋で「喧嘩芸骨法」を立ち読みで全部読んだ。立ち読みで全部読んだのは後にも先にもこの本だけだし、全部読んだにも関わらず購入しました。夢ですよ、夢。人は夢を食う生き物なんです。若い時のことなんざ全部夢みたいなものです。夢なんだから真実もへったくれも無いでしょう。いい夢見させてもらいました。感謝しています。本当に世界最強の格闘技だと思ってました。
おっちゃんは87年に喧嘩芸時代の骨法やってた。船木選手がまだ新日の新人レスラーで。練習に来てた。プロレスラーは凄いよ。実力ある骨法の指導員たちとスパーして。パワーで圧倒してた。あれを見てからどうやったらあんなフィジカルモンスターに立ち向かえるのか真剣に考えるようになった。大道塾にも通ってたが。当時ヒットマンの異名で北斗旗の覇者だった長田選手の練習を見て。やはりあまりの才能や。身体能力。フィジカルの違いに衝撃を受けた。おなじ土俵では永遠に手が届かない絶望から。おっちゃんの武術漂流は始まったよ。当時はUWFブームの真っ只中や。骨法も大道塾にも集まってた練習生はUWFの影響受けてた。情報は格通と週プロだけの時代や。理論家の堀辺師範の発言力は大きかったな。いろいろ怪しい武術もあったが。熱い時代やったのは確かや。
確かに……最強を夢見る若者達は熱かった
骨法が一番良かった時期ですね。廣戸、最上指導員の強さは間違いなく本物だったし。廣戸指導員と船木さんの自由攻防を一度見たことがあるけど、たしかにフィジカルで圧倒してましたね。廣戸指導員の浴びせ蹴りを前蹴りでブロックしてましたから(笑)2人の有能な指導員がいなくなってしまった原因はやっぱりあの人なんですかね〜。
ああ言った良くも悪くもサブカル臭のする武術・格闘技が持て囃され楽しんでいられた最後の時代だったわ。
@@ユキ-r7g さん骨法されてたんですか?
されてました(笑)
古流武術を名乗っているのに内容がその時々の流行でコロコロ変わるという
「骨法は奈良時代・・・」いきなりツッコミを入れたくなる導入でワロタw
自分も学生の頃、骨法を習ってみたかったが、東中野にしか道場が無く、塾にもいかないといけないので通えず、学校での部活で柔道をやっていた。総合格闘技をやった時に柔道が役立った。骨法の他流試合での惨敗をみてやらなくてよかったと思った次第で。自分も流派を作るならはったりのつけかたで骨法を参考にしようと思う。技術は参考にしないが。
骨法は堀辺氏の創作武道です。大東流や詠春拳からヒントを得て。奈良時代の…なんてのは虚構です笑 30年前の日本はこういった似非武道が流行るおおらかな時代でしたね。
不動禅少林寺拳法なども、中身はアレンジ空手で、歴史を捏造して興した流派だったそうですね。拳法ブームに乗っかったのだと。ただ、新たな流派を立ち上げる武術家が、箔をつける為、ルーツをいつわるといった事は、昔からあったのだとも聞きます。大東流も、しっかりとした中身はある流派なのに、藩の御留流だったというのはフィクションだそうです。
その中で、ただ一つ骨法だけが抜きんでてた。アンディ・ボガードを筆頭にゲームにも漫画にも小説にも、骨法使いは何人もいた。一個人が立ち上げ、中国拳法や柔術などの看板にも頼ってない全くの新興格闘技で、ここまで到達した流派は他にない。
@@keediikeedii9737 さん骨法は、当初のスタイルはなかなか興味深かったのですが、格闘技というジャンルにアルティメット大会、バーリ・トゥードからの、「何でもあり」のブームが起き、その流れに乗る事を試みたものの、失敗してしまった、出来なかったんですね。寝技を取り入れようという方向自体は間違いではなかったと思うのですが、堀辺正史がそれを弟子に教える事が出来なかった。その頃の骨法選手の中では大原学が強かったのも、骨法以前に柔道で鍛えていたからです。初期の骨法の指導員の強かった人の話は伝え聞きますが、その人々が去った後に強い人は出てこなかった。それを考えると、初期の指導員や大原学が強かったのは、本人の才能や努力や他所での経験からくるもので、堀辺正史はちゃんと人に教えられるだけの中身を持っていなかったのではないかと思います。骨法を抜けた矢野卓氏の話からもそれがうかがえます。 梶原一騎よろしく、カルチャーでの紹介。服装や髭のようなビジュアル。書籍に書かれたエピソード。歴史の捏造。習得したのではなく、真似ただけの技術。悲しいかな、結局、堀辺正史に中身が伴ってなかったんです。理論、文章は書けたのですが。格闘オタク気質の延長上にあったのが、喧嘩芸骨法だったという事だと思います。大東流や不動禅のほうが、全然中身はあるんです。
武芸者の話なんて昔からテキトー。山にこもってたら天狗が来て教わったのが我が剣法だ、とか、当時はそういうのがハクが付いたんだろうけどね
世に出るのが20年早ければ、どうなっていたことか。20年遅かったために、極真空手(というか空手バカ一代)になれなかった、惜しまれる流派。という台詞をどこかで見たが、全くその通りだと思う。総合格闘技なんかなく、格闘技情報自体がロクになく、テレビや漫画と口コミだけが全てだった時代に、立ち回っていれば……極真だってそうだが、人気を獲得して組織が大きくなり、人間が多数集まれば、その中に天才が混じって来るからな。運動神経がいい、体格がいい、根性もあって頭もいい、「どーせ何をやっても強くなる、天然で最強」な人が。その天才の個人的好みに合致して、その天才が参加してくれれば、自動的に「その流派」に強い人間がいる、ということになり、「その流派」が強くなる。他流試合でだって実績を出せる。梶原のような、超有能専属宣伝マンがいなくても、独力であれほどのブームを創り出せた堀部氏があの時代にいれば、充分に可能性はあったと思う。骨法が、空手バカ一代のルートを辿り、そして現在の極真に取って代わっていた可能性が。
奈良時代から伝承する「徹し」が途中から拳から平手になったのは堀部先生のフロンティアスピリッツの証し
高校時代に部活動の先輩から骨法という格闘技知り本やビデオ買いあさり独学で練習したな。入門したくて近くのジムで道場生の人と会話したのはよい思い出。
ジークンドー いいとこ取りしてもコアの部分はぶれなかったので成功した例骨法 いいとこ取りしたけどコアがブレまくりで専門家に勝てなくて失敗
『闘将ボーイ』ってマンガでもフューチャーされてたりして、当時は「マスターすればケンカ最強になれる」と思ってたんですけどね…
武術なのに、武器をメイン、体術をサブ、としての戦い方を忘れた骨法ww
骨法の使い手が出た漫画は永井豪のバイオレンスジャックと永井豪が月刊マガジンで短期連鎖したので女王に成る前の卑弥呼に使えた骨法使いが主人公の作品が有った。
このときは、ダイナミックプロは、骨法を、後押ししてました。バイオレンスジャックの骨法編は、作品としてみたら、面白いです。このエピソードの主人公が、徹しという、修羅の門の虎法に似た必殺技で、敵のスラムキングに放ちますが、通用せず、地割れに落ちて、死んだ...と読者に思わせるようにして、スラムキングと2度目の生死の戦いをします。堀辺氏は、商売上手だったのですね❤️💰👊 とぉし~ッ‼️
その後を描いた邪馬台国幻想記(矢吹)あるいは鋼鉄ジーグ
マンガの構成上仕方ないけど、二度目の登場で斧持ってるのは少しだけガッカリした
自分もこの作品で初めて骨法を知りました徹しがなんかかっこよかったけど日本の格闘技には似た技が多くあるのを後に知って驚いたな
マニア向けエンターテイメントとしては最高峰だと思うあの良き時代を現代に再現しようとしているのがウエイブだと思う
あーたしかに。言われてみれば、骨法の再現といえばしっくりくるわ
骨法は世の中に登場した時期と怪しい堀部の風貌や生徒の雰囲気がオウム心理教を彷彿させるものがあったな
若い頃ハマったよ骨法!家でビデオ観て練習してました笑❗️
鍋つかみみたいなグローブして、ペチペチ打ち合ってたビデオ見ました。堀辺先生を非難するつもりは全くないのですが、脳内格闘技者だったのかなと。胡散臭い物大好きなんで、大好物でした。今は、ウェイブなんとかが好きです。真面目な話、格闘技経験者で指導もしている身ですが、こんな技術体系はありえないと思います。お弟子さんも、さぞ大変だったと思います。外野から見ている分には最高でした。ありがとう。堀辺先生。大好きでした。
この動画は骨法の歴史というより、堀辺師範の歴史じゃねーかwww
堀辺氏=喧嘩芸骨法
めっちゃおもろい動画でした!!!w 骨法といえばアンディ―ボガードの残影拳 世代ですw
どうもです(^▽^)/
なんかいつになく気合の入った解説でしたね。骨法のダイナミックな変遷見ごたえがありました。
喧嘩芸骨法、骨法の極意、骨法の完成、全部持ってました。
同じくw
わしは会報誌一号を持っておるぞ。当時、書泉グランデで買ったものだが。スープレックス山田君も寄稿しておる。
懐かしいですね。自分もその本持ってました。地方在住なので直接の道場の様子は知りませんでしたが、格通は読んでました。その後、2ちゃんねるで元骨法道場生達のスレッドが出来て、当時の内部の様子が色々語られていて、その中身に驚いたものでした。酷かったんですね。
よう、同世代!「喧嘩芸骨法」は何百回と読み返しました!
同じく。喧嘩、喧嘩、喧嘩芸だ〜
堀辺先生の立志伝の書物はプロレススーパースター列伝外伝として読むもの。普通に面白い
昔、気になったまま忘れてた骨法。詳しく教えて下さってありがとうございます!
6:28 懐かしい骨法のテーマw
堀辺さんの骨法のビデオを見たことあるけど、掌底と肘打ち、膝蹴りが主体だったなぁ。パンチより掌底の方が初速が速く出せるとか言ってたような😊
森部のじーさんの奥義って実はアレだったんですねー。ライブアライブのスタッフに熱烈なプロレスファンがいたんでしょう。
やっとまともになったんですね。そもそも「骨法」という独立した流派の武術は無かったんです。だから「骨法」を一つの流派の武術として考えるなら、創始者は堀辺氏になります。日本の古流の総合武術(兵法)の、徒手空拳の打撃術的な部分を「骨法」とか「骨指術」と称していただけです。
うわ、マジか。とうとうやりやがった。まさか骨法とは。
骨法を観たヒクソン「子供の喧嘩だな」という感想が全てを表している。その後ヴァーリトゥードの大会で、大原、小柳津選手が出場するも負ける。観客「なんなんだよ、骨法はよ〜」というヤジがいまだに耳に残っている。
骨法とはなにか、 俺の勝手さ!
「机上の空論、路上の現実」が喧嘩芸骨法だったんだけど、机上の空論だったのは…ってオチでした。
スーファミのライブアライブでは、あびせ蹴りにお世話になりました。
骨法というからには骨に関係する武術なのかと思ったら全然違ったw
手合いの間合い、とか、なぜ、日本柔術(主に合気系)に片手「取り」や両手「取り」があるかを剣や武器を封じるということ(多数説)とは違う角度から説明した理論(少数派説)において、堀辺氏を評価します。
昔、「少年サンデー」で連載していた『男大空』という漫画に神骨拳法という日本古代から伝わる架空格闘技が登場して、後に骨法が世に出た時「これはリアル神骨拳法か」と思った。その少し後に、朝松健がソノラマ文庫から出していた『私闘学園』というジュブナイル(ラノベという言葉は未だない頃)に、骨法をおちょくりまくった架空格闘技「畳芸滅法」が登場した。格闘技雑誌の手の平返しというと、アルティメット大会前に編集後記だかで「グレーシー柔術というブラジルの格闘技の試合のビデオを見たけど、馬乗りになって殴り合うような子供の喧嘩レベルのものだった」的なことを書いていて、アルティメット大会後にグレーシーの技術を絶賛しだし、当時「お前ら『子供の喧嘩レベル』とか言っていたじゃねえかよ」と思ったものだった。
骨法……私のような凡人には理解できない武術だったのか………
この先ひょっこり真の骨法伝承者が現れて、師範代もろともボッコボコみたいなオチありそう。
ブラジル勢と関わってしまったのが過ち。独自路線を貫いていれば、
実はここ、グレイシーが流行りだした後柔術的なこともやってて、当時日本で数少ない柔術を練習したい人が集まってできる場所だったのよね。現日本ブラジリアン柔術連盟会長の中井さんとかうちの道場の代表もお世話になった。
太古から続く伝統武術の壮大な消長の物語だった
今となっては掌打を世に広めたのが唯一の功績になってしまった
なんだかんだ言ってビンタは痛いし脳に響くしなw顔にグーパンチは拳骨折する可能性高い。のでマウントパンチって実はそんな実用性高くない。ケンカに勝てるかもしれないけど拳骨折したらほとんどの仕事に影響出るし
@@ブライス-g5l ただ掌打も相手の目に指が入って失明の恐れがあるんだよなUインター時代に掌打で何度か相手の目に指が入って事故になりかけたこともあったし
@@ゴンベエ-c1l 目潰しはバラ手が基本だから、用法の変化としては正しいっちゃ正しい。
あの当時の刑事ドラマで布施博演じる刑事が犯人に掌打を打っていた。😲
高校の頃に部活のOGの人に教えてもらった!一度道場見に行こうとしたけど休みだった!
ついに来たー❗😆✨主さんの動画はマニアックで好き❗
刃牙の連載開始が10年早ければ地下闘技場トーナメントに堀度正史が出てたはず
本部のモデルは堀辺先生
@@山本太郎-q7f 名前以外は全く違うけど多分板垣恵介の感じてた胡散臭い武術家全部載せにしたキャラなんだろな
ボクシングでインターハイ出たり地獄のような空挺部隊に所属したり、超実戦経験のある板垣さんが骨法に惑わされるとは思えないよね。惑わされて広報活動してた文化人達とは違うと思う。
「闘翔ボーイ」で「骨法」を知り、当時はほとんどの打撃系格闘技部の面々が大の社会人になってるというのに(笑)「浴びせ蹴り」を真似てやっていたなぁ・・・・。実に懐かしい!!
懐かしいな小学五年生の時に読んでました
あった!「闘翔ボーイ」!マガジンだっけ?あれで初めて骨法の事知ったんだよな~。中学生だったから本気で信じてたよ。骨法には,打撃だけじゃなくて裏かんぬき鷹羽締め(プロレス技のチキンウイングフェイスロックw)脇固めなどの関節技、バックドロップ【名前忘れた】もある!とか紹介してるの見て 骨法スゴーイ!って思ってましたね。ようは取材にいった漫画家が新日本プロレスの若手が骨法に習いに来てたんでプロレスのような関節技や投げ技も有るんですか?って聞いたらその若手レスラーでもある骨法使いにプロレス技やらせて、これも骨法にある技だ!って言っただけだそうです。←20年後ネットで仕入れた知識です!他にも永井豪のバイオレンスジャックにも骨法使いが出てきたりして面白かった!。田舎に住んでたから骨法習った事無いけど 20くらいまで堀部さんの本は当時、田舎で買って読んでましたね。今はうそってわかってますけど当時は全部信じてましたw
武術の部分は良く分からないけど、東中野の骨法整体はマジで効く!行く前といった後で体の調子が別人の様に良くなる。
あれも、カイロだけどね。
骨法はいろいろと考えさせられることが多い。骨法はバーリトゥードでの強さを喧伝したかったのだと思うけど、MMAジムになりたかったわけではなかったのだろうと思う。しかし、バーリトゥードで勝つためには、言い方は悪いが、MMAジムに成り下がるしかなかった。今ならわかるが、ボクシングで勝ちたければボクシングジムにするしかないし、レスリングで勝ちたければレスリングジムにするしかないのだ。成り下がるという表現をしたのは、決してMMAジムを見下しているわけではない。当時の骨法は、書籍やコミック、雑誌などのメディアにより一種のブランドであった。ブランドであったので、MMAジムには成り下がるしかないのだ。また武道を強調し試合は死合などといった発言によりファンを増やしたが、同時に敗北が許されなくなり自分の首を絞めた。勝ち負けのあるスポーツをしていればわかるが、勝負をすれば片方は勝ち片方は負けるのであり、敗北は身近なものだ。あまり重々しく考えすぎてはいけない。今日はそんなことを思いました。
素晴らしい意見だと思います。
@@確固不抜-b5l ありがとうございます。でも、そんなにたいしたものではないです。
結局グレイシーの戦法は喧嘩で一番重要な「足の機動力」を捨ててしまうわけですから、そんなのおかしいだろとツッコミを入れて独自の喧嘩芸路線を進んでいればなあなどと思ってしまいます(^▽^)/
@@yukkuribujutsu そういや、喧嘩芸骨法から、日本武道傳骨法に名称変更してましたね。メディアを利用して伸びていたので、避けることが出来なかったんじゃないですかね。当時のバーリトゥードってルールの過激な異種格闘技戦だったんですよね。今になって情報がある状態で見るとMMAじゃんってなりますけど。
当時は、現在使われている、"MMA"(→Mixed Marshall Arts)という呼称はまだ無かったです。"バーリ・トゥード"というのはブラジルにあった試合スタイルで、グレイシー柔術はそのバーリ・トゥードの中で発達したのだと思います。アルティメット大会かアメリカで開催された事で、"バーリ・トゥード" とグレイシー柔術が日本に知られるようになりました。 当時は、"何でもあり" という言葉も流行りました。
喧嘩芸骨法の時代には夢があったな
堀部正史さんは古来の『骨法』の伝承者ではなく実践格闘技としての『喧嘩藝骨法』の創始者の側面を強く感じる。
わざわざ「喧嘩」を付け加える所にもはや可愛げすら感じてしまうぜ
親が東條英機のボディガードだったとか、バリバリの経歴詐称でしたね。
感じるのはお前の勝手さそれは紛れもなくやつさ
@@泉此方-v7kさん街を包むMidnight fog 孤独なsilhouette動き出せば某餓狼伝説のアンディの武術スタイルは骨法とのことだけど、不知火半蔵(舞の祖父)のところで忍法を学びながら、ついでに東中野へ行って堀辺氏の喧嘩芸骨法を学んで骨法にハマッて(喧嘩芸の方の)骨法をメインで使ったのか、不知火半蔵の元で(喧嘩芸じゃない方の)日本伝来の骨法を習ったのか、、、謎はミステリーを呼びますねぇ、、、。
@@freesiaboysince 仮説1堀部の愛人が舞仮説2両流派は併習が推奨されている実はあの黒いユニフォームは巨乳の女性用で三角の構えは舞の服のパンチラ覗き用仮説3実はジェダイの騎士のライトセイバー流派みたいなもんで各々の流派は「舞」と呼ばれる身体操作の利用法の差であり燃えよ剣の土方歳三が脛斬りからリュウゴウ流の使い手扱いされたように「道場で学ぶうち完成したスタイルは客観的見て骨法に近い」という自意識から自称したこんな感じ
堀辺さんの骨法が本物でないとか、うさん臭いと皆さんが言われるのも無理ないと思いますよ。なんせ実績が伴わなかったですしね。でも僕は堀辺さんが好きでした。どういう点でかというと、第一回UFCでグレイシーが出て来た時です。僕はグレイシーの勝ち方とかに不思議な感じを覚えてたけど、ほとんどの格闘家等は「あれは子供の喧嘩だ」とか「レフェリーがダメ」とか言ってて誰も僕が求める答えを言わなかった中で堀辺さんはグレイシーの良さを分かりやすく教えて解説されてました。例えばスポーツと武道の違いとか、なぜグレイシーは強いのか?とか、「柔術に殺なし」「活殺自在」等の言葉を用いられ、古い日本人の観念や日本という国に住んでいながら日本にカルチャーショックを覚えたくらい、とても研究されてました。いろんな点で批判されてる人ですが、僕はその点だけでも堀辺さんを尊敬していますし、堀辺さんとターザン山本さんの対談本「グレイシー柔術の秘密」という本は今でも宝物です。
骨法の事は、忘れろ❗(笑)👍️
とうとう骨法に行きつかれましたか‥苦情は一切受け付けてないとのことですが、ならば苦笑では如何でしょう?永井豪氏のプロレススーパースター列伝みたいな紹介漫画を読んだことがあります。ファンタジーとしてはめっさ面白かった記憶が。
本棚に骨法の本とビデオテープがまだありますw
スーパージョッキーのガンバルマンコーナーで整体やってたなあ。面白かった😅
堀辺師範の最大の功績は、ビッグバンベイダー誕生に一枚噛んでること
まあ、新しい技術を取り入れる姿勢は評価すべきだと思うよ。中拳を修める者の多くは今でも祖先の技こそ至高!って思ってるし俺はそれに嫌気をさして散打に転向した
確か戸隠流忍術に骨法体術というのがありましたよね。
ケンカのとき平手は合理的ブロック塀背負った相手を拳で殴ったりすると避けられた時のダメージときたらあと歯に拳があたるとかよくある
ちゃんとした打ち方身に着けなかったら、掌底で効かせるのって拳の何倍も難しいですよ。当時骨法の本で紹介していた"カニ歩き"みたいな創作物では無理です。
@@通りすがり通りすがり-b9h そうですねちゃんとした掌底の効かせかた、というのはちゃんとした拳の握り方や効かせ方と同じぐらい難しいと思います。つまりどちらも難しい。問題はそこではなくて自損のしづらさを言っているのですあと平手では少林寺拳法のバラ手での目打ちなどは本当によく効きますしよくあたるブロック背負った相手にどっちでなぐりますか?拳って本当に怪我をしやすいですよ
@@manbongo1588 さん。フルコン空手の道場内での組手なんかだと、パワーのある人に壁際に詰められるとメッタ打ちにされたりしますよ。顔面は打たないので中段突きのラッシュなのですが。押されて背中が壁にもたれる姿勢になってしまうとなかなか抜けられません。そうなる前に横に動けないとアウトです。まあ、顔面無しの組手でのケースですが。顔を殴れる場合でも、相手が壁を背にしたらチャンスの方もデカいと思いますよ。拳で殴る場合でも、ストレートにこだわる必要は無いですから。フックも顎狙いのアッパーも打てます。背中を壁に押し付けてしまえば、アッパーなんかはかわせなくなります。蹴りも限られてしまいますけど、踵の前蹴りとか膝蹴りとかはやりたい放題です。掌底は、牽制とか軽く打って崩すとかだと問題無いんですけど、倒そうと思うと難しいです。拳と掌だと、肘から手の先までの長さが変わるんですが、リーチが短くなる以上に、この短さで威力が全然変わってしまいます。短い槍と長い槍の違いみたいな差が出ます。ハンドスピードだけの手打ちだと効きません。体全体で打たないと、ストレートでもフックでもアッパーでも威力は出せません。拳とは、尖端に塊状の重心のあるかないかの違いもあります。あと、護身で使う分にはいいと思うのですが、喧嘩で目や金的を狙うのはやめたほうがいいですよ。相手に本当に大怪我させるような事はしない方がいいです。後々、関係修復なんかも出来なくなってしまいますから。自分自身が目や金的を狙われても対処できるように想定しておく事は大事だと思いますが、喧嘩などでは自分から使ってはダメです。やむなく行う"護身"と、"喧嘩"は、分けて考えておかないとダメです。
@@通りすがり通りすがり-b9h 長文の返信ありがとうございますその通り目打ちは効果抜群でしかも力みの問題もリーチの問題も簡単に解決してしまいます。なんなら練度もいらないでしょう。おまけに壁際に押し込んで腹を連打することや地面に押し倒して顔面を拳で殴る事に比べれば目打ちの相手に怪我をさせないことは圧倒的に上でしょう。死なせないものまさに護身相手がフルコンのパワー系ならという仮定のはなしなら、僕が井上尚弥だったらどうする?避けちゃうよという反論をしておきます。しかも壁際に押し込んでめちゃくちゃ殴ってくるフルコン相手に目打ちを我慢して関係の修復など出来ようもなく自分の命が危ない「オレは壁際に押し込んでむちゃくちゃ殴るけどお前は目打ちなんか危ないからするなよ?」っておかしくないですか?あくまで平手と拳の自損のし辛さの比較なので相手と自分の実力差の話ではないのです壁際の攻防で相手との力量差を考慮すると平手と拳どころではなく、例えば名門ラグビー部のプロップあたりのタックル一発が恐ろしいし、なんならナイフとかの刃物がありえるしでケンカはしないに限りますでも一回バラ手の目打ちをしてくる相手を想定してみるとずいぶんケンカのシミュレーションも変わってきて面白いとおもいますよ
@@manbongo1588 さん。拳か、掌・開手か、で、何かテーマを持ってらっしゃるのですか。まあ、自分の話も、ただの例えだったりケースの紹介なだけですから、あまり気にしないでください。いろんな状況や相手を想定してみる事は、武道では大事なことですよね。互いに合意があるならそれは喧嘩。一方的に襲われたなら護身。刃物が出てくるなら、それはもう喧嘩の範疇を超えますよね。護身です。身を守る事が最優先になります。危ない事をしてでも対処しなければならないですよね。逃げられないなら抵抗手段は選んでられないです。相手を動けなくする事が優先します。まず、よほど場慣れしてる人でないと、落ち着いて対処なんて出来ないですよね。乱取り、組手、対人練習の経験を積んでる人の方が相手のさばき方を知ってる筈が、刃物相手だとそれが命取りにもなりかねない…という部分もあります。危険な状況を想定するなら、目や金的を狙う攻撃を研究しておくのが大事なのはその通りかもしれません。目を狙う攻撃も、流派によって色々なやりかたがありますよね。少林寺拳法のバラ手打ちは裏拳に似た打ち方をしますが、手の平側で指を曲げながら打つ方法もあります。直接的に、指先で触りにいく方法も、下からすり上げながら触れにいく方法もあります。ジークンドーや八卦掌なんかは、基本から目狙いだったりします。ちょっと相手にしたくないですよね。喧嘩についてなのですが、目狙いのような危ない技は、使ってしまうと場のチャンネルを切り替えてしまうような部分があります。"こういう事もするやりとりだよ"と宣言してしまう事になるんです。相手も手段を選ばなくなります。一気に危なっかしい事態に変わります。相手にとって、自分が"手加減してられない相手" "配慮のいらない相手" になってしまうんです。危機を招くし、不毛だし、マイナスの部分を考えておいた方がいいです。もし自分から仕掛けて、相手の目に本当に傷をつけてしまったら、治療費や慰謝料に話は発展します。でも、少林寺拳法のバラ手打ちは、そこまでのダメージにはなりづらいかもしれません。その辺りは考慮してるのかもしれないですね。それでも、喧嘩で使うと厄介なことになる点は同じだと思います。
骨法・・・・アンディ・ボガード
アンディはタン老師ではなく堀辺先生に師事していた訳ですね。
木城ゆきとの「銃夢」にも、骨法使いのフォギアがいました。カッコよかったのにな…。元の骨法があれ程ダメだったとは。
@@daikonmahi 不知火舞の爺様から教わったハズ
アンディの技は躰道に近いような気がするのは私だけ?
ミッション終了ただの高校生さ
kofには骨法の使い手アンディ・ボガードがいるから…
弟武術家で兄貴タダの我流実践屋ってよく居るよね悟空ラディッツ鎬兄弟
小学生が授業中暇すぎてする妄想を具現化したらこうなる
喧嘩芸の時は合理的な体系を創れたのに何故端から見ても明らかにおかしい方向に改変してしまったのだろう?故、堀辺氏は。
骨法の大会のビデオ見た事があるんですが、倒れている相手の顔面に頭突きしたり、関節技が決まってる状態で場外に逃げてもそのまま引きずり戻されて再開するとか、他の武道や格闘技ではなかなか見られない展開が多くて迫力がありました(*´∇`*)
高校の時に骨法の本を読んで心酔していましたww私もその後の流れで骨法から心が離れた一人です。最近、RUclipsでスーパージョッキーのがんばるマンのコーナーに骨法が出てい動画を見ました。なんと、掌打では無く拳を使っていましたw
骨法は目潰しとか金的、の急所攻撃や噛みつきみたいな禁じ手を真髄としてるから大会には出られないみたいな設定にしてたらよかったのに。逆にグレイシー柔術が骨法みたいな厨二病的設定を作ってたら信じられてた可能性高いのかもって考えたら面白い。
グレイシーはルタリーブリとかガチ(喧嘩)に明け暮れてたから、そんな中二設定は通用しないかと
グレイシーは、前田光世から教わったルーツをそのまま紹介してましたよね。もとは柔道だったと。あと、グレイシー柔術は、"バーリ・トゥード"という闘いの場があった事で洗練されたのでしょうね。
まっそれは堀辺の作り話で日本書にそんな話はない 発勁見たいな技をやってはいたが動かない人間に螺旋状に打撃をうてば誰でもできるようになります(笑)オイラも最初 その本を見た時はスゲーと思いましたがクレーシー柔術が出てきてなんでもありの試合になぜ骨法でないだろうと小学ながら考えてました(笑)堀辺が勝手に考えた技で掌 手だけでうつ技もすごいと思いましたが実際やると至近距離でもパンチはうてるんですよね(笑)昔は 立ち技だけで倒す見たいな格闘技だけでしたがクレーシー柔術のように転がせば簡単に人は倒せるんですよね(笑)結局金的は有効な技でしたが手(掌)打撃もパンチの方が有効なんですよね 結局アントニオ猪木に教えたことで話題性を呼び 実戦では使えなかったのでしょう
コッパーの人達に見せてあげたいこの動画!
色々と議論あるのは承知しています。ただ一つだけ、掌打は使えます。素手の拳だと耐えられない衝撃を吸収できます。デメリットは距離感ですが、理解して使えれば大変有用な攻撃手段になります。骨法ウンヌンは、控えます。あくまでも『掌打』は、大変有用です。
マウント取ったら最強だった当時、骨法はマウントから抜け出す方法を発見したといって実践したが、抜けられず。その方法の理想と現実を連続写真で解説したうえで「今後本誌は骨法を取り上げません」とした格通(多分)は衝撃的だった。なので「負けたから手のひら返し」でもないと思おう。鑑真を錦の御旗にしたり目玉商品がこけても新商品を開発していく逞しさ…これこそが秘伝中の秘伝。
後期に爪隠しって掌底型のグローブを使って掌打をやってたよね?
奈良時代からの……😲
一番すごい掌底を見せてくれたのは、バスルッテン。
骨法は絶えず変化し進化する武術!そのうちマシンガン使います
THE OUTSIDERに出ていた樋口武大選手は総合格闘術骨法烏合會 矢野卓見道場に所属とあるけど堀部正史氏の流れを汲んでいるのだろうか?
継続は力なり、といったところか。ブームだけで終わらず、彼らなりに追及継続したことは評価できる。具体的な格闘内容は知らん。
ペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチ!!
ロマンがあったなぁ。堀辺先生や、廣とさんはカッコ良かったし。
なんかの情報だと十代くらいは剛柔流やっていたみたいですね。台湾かどこかで中国武術も教えてもらいにいってたらしいとか。大東流も習ったようですね。いわゆる代々云々の系譜も大東流の系譜から拝借していると思う。大東流のも?だけど…。当時としては体が大きくてやっていたから喧嘩は強かったとか。
触れ込みは嘘でも技術体系は素晴らしいと思う。使えるなら触れ込みなんかどうでもいいよ。
一番知りたいのは、堀辺さんが本気で相手の身体を突いたら、背骨まで砕ける衝撃を与えられるのかということ。有名な八極拳もしかり。殺人は出来ないから、手加減していて真の強さを披露できないまま、グレーシー武術などに、惨敗してしまうのは骨法としては屈辱であり、とにかく、他流派に人前で勝利しないと面目がたたないから、ミックスして我流武術になり、中途半端になってしまったのか。繰り返しになるけど、本当に一撃で致命傷以上の強さがあるとしたら、それを証明できないのは砂を噛むような思いだったのではなかろうか。
本当に致命傷以上の威力を出せたのに手加減の結果試合成績が振るわなかったとなると、威力の研究が為されてないどころかそもそもの話、その威力に到達できる力がなかった証明になると思う。0から10までの威力で10が致命傷を出せるのに加減した結果、打撃力で競り負ける(動画の田原選手で考えると)のは相手が5であったら自分は3なり4なりだったということ。ここで10を出せないから3に甘んじたと言われても、実戦に使える技の研究も洗練もされてない証明になるし、そんなものが本当に一撃必殺を実現できるかというと疑問。こんな書き方してるけど古本屋で見つけた骨法の本を買うぐらいは好きです。
@@宮里-s6q 様 理論を持ってらっしゃいますね。僕など武術を何も知らない人間が持論を展開すると、詳しい方からすると可笑しなことを書いてる事でしょう。返信してくださったので感謝致します。
@@宇都泰隆 自分もずっぶずぶの素人です。理屈で考えたらこうかな?というだけで。実際に車もそうですがブレーキの制動やエンジンブレーキの減速とではかかる力も出し方も違うと聞くので、格闘における打撃力の出し方が絞る動作に集約できないと、こういったことも有り得るなと思い疑問に留めました。格闘は理論が大事だろうけど、見る分には何より夢があったほうがいいですし。こちらこそ返信ありがとうございました。
修斗だって第1回バーリトゥードジャパンでエースの川口選手が惨敗したけど、第2回大会では中井選手が一回戦のゴルドー戦で片目を失明しながらも勝ち上がって準優勝(優勝はヒクソン・グレイシー)して雪辱を晴らし、その後佐藤ルミナや山本KID徳郁等のスタープレイヤーを輩出し、いろいろ運営上の疑問は残るものの一定の地位を格闘界で確立して存続していることを考えると、たった一度の失態で喧嘩骨法を全否定してしまう格闘メディアや格闘ファンの姿勢は如何なものかと思います。まぁ小柳津さんが小学生相手に事件を起こしちゃうからいずれにしてもダメなんですけどね。
修斗と骨法の違いは、"競技として確立しているか"という点ですよね。佐山聡が、プロレスの中で、カール・ゴッチからヨーロッパのサブミッションや、ムエタイの蹴りを学び取り入れたように、当時まだ無かった、様々な技術を取り入れた「総合格闘技」という競技のルールやジャンルをいち早く作った事が、佐山聡の凄かったところです。"流派"ではなく、"競技"という"実力測定の場"を確立したところです。実際、中井佑樹は高専柔道、KIDはレスリングのベースがあり、その技術を用いたスタイルで競技の中で戦ってました。堀辺正史は、その測定の場を、"路上の喧嘩"と"想定"して当初スタイルを作った筈でしたが、堀辺正史の身に着けていたものが、"バーリ・トゥード"という制約の極端に少ない競技や、その中の寝技に対応出来なかったんですね。だから、道場内で直接 技術的な指導を弟子に対してちゃんと出来なかったんです。"競技"を確立した佐山聡と、"スタイル"の構築が出来なかった堀辺正史。2者にはこういった違いがあります。 あと、道場経営がダメだったとこも、堀辺正史にはあるようです。月謝以外の弟子への金銭要求などもあったそうです。
@@通りすがり通りすがり-b9h 佐山さんが修斗を出て行った(事実上の追放)後に作った掣圏道が路上の喧嘩を想定したものになったのは、喧嘩藝骨法からすればなかなか皮肉な感じですね
@@backzan さん。制圏道にはちょっと閉口しましたね…(汗)。立った姿勢、寝た姿勢、局面を問わずに打撃を行なうというコンセプトは実際時代の先端を先取りしていたので、さすがだなぁ、と思ったのですが、あの道着と、敬礼しながらの"押忍"の挨拶は、ドン引きでした。あのセンスの無さは何なのか(汗)。あの辺りの衣装のセンスに関しては、堀辺正史の勝ちですよね。
@@通りすがり通りすがり-b9h さん、初めましてm(_ _)m 似非格闘ヲタクのオイラから観ても佐山氏の創設した制拳道の道着には『呆れ』ましたねw 何故あんなチープな『背広モドキ』の道着にしたのか💦 今なら某レンホーでは無いですが『普通の空手着じゃ駄目ナンですか?』と言いたいです💦(;^ω^)
グレイシーが表に出てから強さだけなら総体的に上昇しましたが、浪漫がなくなってしまった。
今でもウェイブとかローコンバットとかツルギ護身術とかクラマがとか1616ある
厨二キャラは正中線をガードしてローキックと掌で戦うイメージがありますがその源流がこれなのでしょうか?
道着がコロコロ変わるのも面白い武術でした特に初期のレオタード日本古流武術なのにレオタード?しかも師範は絶対着なかったねどうしてそうなった?
倒し方、独特ですね!
へ…変化する者が生き残るから…(震え声)www
だ、ダーウィンも言ってるだろぅ…?
て、適者生存…?
遂に扱いますか骨法と言えば堀辺師範の他にプロレスラーの船木選手や元プロレスラーのライガーさんの名前が上がりますよね?😁此処で骨法と詠春拳の繋がりにかなり驚いたのは記憶に新しいですもんそんな骨法について何が語られるのかプロレスやジークンドーを始めとする近代格闘技との繋がりや他の武術との繋がり辺りを期待します。😊
平安後期の源義光の孫が300年後の室町幕府の常陸守護っていう時点でもう(笑)ですな!佐竹は頼朝に敵対したので鎌倉時代は守護じゃなかったし、室町幕府においても侍所の長官になれる家格ではなかった(笑)「胡散臭い」というより明確な誤りが多々含まれる骨法伝説がここまで流布したのは堀辺先生の功績ですね。堀辺氏が佐竹氏の庶流家であるのは事実みたいなので虚実入り混じっているんですね。骨法の権威の象徴である『中右記』の「骨法」の記述に関しては他に類例がないので学術的には謎ですが。。。
なるほど,つまり頼朝は骨法を恐れていたということですね(^▽^)/
小柳津選手は後に、、、。
カガミノクラ、ツルギノくら。についてはある整体家が取り入れてる。
「都合の悪い事は忘れよ!」まぁ、骨法って堀部サンの流派だけではないんだけど、当時のいざこざでアンディ・ボガードの使う武術が不知火流忍術に変わったのはご愛嬌w
@@kaziida999 おお、詳しい方がいて嬉しい!古流柔術の伝書にも記載がありますね。今でいう整骨術や解剖学的な口伝をしてる流派もありますが、今の世には結構失伝しているのが残念。
串カツじーさんの名言ですね(^▽^)/
堀辺正史の創始した"骨法"と、他の古流武術の中にある用語の"骨法"は、全く別のものですよ。混同してはいけません。ゲームの中のフィクションをゲームのジャンルの中だけで真面目に考察しても、あまり意味は無いのではないでしょうか。昔なんかはゲームを制作する人も武術や格闘技に関する知識はあまり無かったみたいですから。
刃牙でオロチと戦ってほしい😊
何かの雑誌で読んだんだけど、骨法が人気だった頃格闘技雑誌等に骨法の批判的な記事をだすと堀部氏から凄いクレームがあり、その記事を書いたライターに圧力をかけたってことですね。その時の雑誌の記事でも、ハッキリ人名は避けてたけど、当時世間を騒がせたオウムの麻原彰晃似のような奴だと言い、奈良時代や親父が誰かのボディーガードとかって言ってたし。総合格闘技戦で結果がでないことで、格通等から絶縁されたしクレーム入れられたライター達は誰も助けなかったのかも。
1990年代に格闘技とは関係のない雑誌の編集をしていました。堀部氏から無理筋で恐喝のようなクレームが編集部に来たことがあり、それ以来堅気の人ではないと見ています。
オカマの喧嘩スパーリングで爆笑した思い出しかない
骨法さんも大変やね🤭
喧嘩芸骨法、フルコン空手にUWFやシューティング、漫画は修羅の門に拳児。あの時代の地上最強ブームは今振り返ると笑えるところは多いけどあの胡散臭さが面白かったのは事実。そういや、堀部正史の自伝?エピソードは漫画になってたな。中学生時代の喧嘩で鎌ヌンチャクはねーだろうと大笑いした記憶。
ヌンチャクというと、「CUFFS傷だらけの地図」みたいな世界観かな。
典型的なペテン師。猪木さんや船木さんは、なんでこんなのにひっかかったのかな?そういえば矢野さんだっけ?「堀辺、俺と闘え!」って挑発してた人。いまどうしてんだろう。
ペチペチビンタしてる格闘技のイメージしかない
拳法 鷹の爪?とか名乗ってた時期も吉○慶雪?と共著があった記憶が換骨拳とも関係あった様な大東流の後、S金兵衛道場ともいわくがあったと聞いたことが
堀辺骨法は完全に堀辺さんのオリジナルなんだろうけど結局のところあくまで「武術」としてありたかったのか?それともルールある「スポーツ格闘技」として盛り上げていきたかったのか?どうにもわからんのよね
オイラ個人の意見としては堀辺氏は”喧嘩藝骨法”を「武術」として成り立たせたかったのだと思います。でなければ、アソコまで格闘スタイルがコロコロと変わらなかった筈。ただソレ故に堀辺氏の”貪欲さ”が”喧嘩藝骨法”の迷走を招いた事も事実(;^ω^)PS・資料が残って無いッて事は『ジャパニーズボクシング』は”黒歴史”って事なんでしょうね(~_~;)
引っ越す前に少し通ってました。第一回骨法の祭典の直前くらいでした。今では矢野卓見さんなども暴露してますが、本当、初日に雰囲気を察しましたね、「あ、これは…武道っつーより新興宗教だ…」って。それでも、骨法の歴史なんて全て捏造のデタラメだとわかっていても、それでも楽しかったんですよねぇ(これも矢野卓見さんも同意見)。骨法で貴重な時間を台無しにした人は多いですよね…
実家がそこそこ近かったので思春期の頃に友達と見学に行こうとビルの2階へ上がろうとしたら、2階から「ギャアー!!」とか「ウワアー!!」とか悲鳴が聞こえて来て、ビビって友達と見学する事なく退散したのはいい思い出。
高校2年の時に本屋で「喧嘩芸骨法」を立ち読みで全部読んだ。立ち読みで全部読んだのは後にも先にもこの本だけだし、全部読んだにも関わらず購入しました。夢ですよ、夢。人は夢を食う生き物なんです。若い時のことなんざ全部夢みたいなものです。夢なんだから真実もへったくれも無いでしょう。いい夢見させてもらいました。感謝しています。本当に世界最強の格闘技だと思ってました。
おっちゃんは87年に喧嘩芸時代の骨法やってた。
船木選手がまだ新日の新人レスラーで。練習に来てた。プロレスラーは凄いよ。実力ある骨法の指導員たちとスパーして。パワーで圧倒してた。あれを見てからどうやったらあんなフィジカルモンスターに立ち向かえるのか真剣に考えるようになった。大道塾にも通ってたが。当時ヒットマンの異名で北斗旗の覇者だった長田選手の練習を見て。やはりあまりの才能や。身体能力。フィジカルの違いに衝撃を受けた。
おなじ土俵では永遠に手が届かない絶望から。おっちゃんの武術漂流は始まったよ。
当時はUWFブームの真っ只中や。骨法も大道塾にも集まってた練習生はUWFの影響受けてた。
情報は格通と週プロだけの時代や。理論家の堀辺師範の発言力は大きかったな。
いろいろ怪しい武術もあったが。
熱い時代やったのは確かや。
確かに……
最強を夢見る若者達は熱かった
骨法が一番良かった時期ですね。
廣戸、最上指導員の強さは間違いなく本物だったし。廣戸指導員と船木さんの自由攻防を一度見たことがあるけど、たしかにフィジカルで圧倒してましたね。廣戸指導員の浴びせ蹴りを前蹴りでブロックしてましたから(笑)
2人の有能な指導員がいなくなってしまった原因はやっぱりあの人なんですかね〜。
ああ言った良くも悪くもサブカル臭のする武術・格闘技が持て囃され楽しんでいられた最後の時代だったわ。
@@ユキ-r7g さん
骨法されてたんですか?
されてました(笑)
古流武術を名乗っているのに内容がその時々の流行でコロコロ変わるという
「骨法は奈良時代・・・」いきなりツッコミを入れたくなる導入でワロタw
自分も学生の頃、骨法を習ってみたかったが、東中野にしか道場が無く、塾にもいかないといけないので通えず、学校での部活で柔道をやっていた。
総合格闘技をやった時に柔道が役立った。
骨法の他流試合での惨敗をみてやらなくてよかったと思った次第で。
自分も流派を作るならはったりのつけかたで骨法を参考にしようと思う。技術は参考にしないが。
骨法は堀辺氏の創作武道です。大東流や詠春拳からヒントを得て。奈良時代の…なんてのは虚構です笑 30年前の日本はこういった似非武道が流行るおおらかな時代でしたね。
不動禅少林寺拳法なども、中身はアレンジ空手で、歴史を捏造して興した流派だったそうですね。
拳法ブームに乗っかったのだと。
ただ、新たな流派を立ち上げる武術家が、箔をつける為、ルーツをいつわるといった事は、昔からあったのだとも聞きます。
大東流も、しっかりとした中身はある流派なのに、藩の御留流だったというのはフィクションだそうです。
その中で、ただ一つ骨法だけが抜きんでてた。
アンディ・ボガードを筆頭にゲームにも漫画にも小説にも、骨法使いは何人もいた。
一個人が立ち上げ、中国拳法や柔術などの看板にも頼ってない全くの新興格闘技で、
ここまで到達した流派は他にない。
@@keediikeedii9737 さん
骨法は、当初のスタイルはなかなか興味深かったのですが、格闘技というジャンルにアルティメット大会、バーリ・トゥードからの、「何でもあり」のブームが起き、その流れに乗る事を試みたものの、失敗してしまった、出来なかったんですね。
寝技を取り入れようという方向自体は間違いではなかったと思うのですが、堀辺正史がそれを弟子に教える事が出来なかった。
その頃の骨法選手の中では大原学が強かったのも、骨法以前に柔道で鍛えていたからです。
初期の骨法の指導員の強かった人の話は伝え聞きますが、その人々が去った後に強い人は出てこなかった。
それを考えると、初期の指導員や大原学が強かったのは、本人の才能や努力や他所での経験からくるもので、堀辺正史はちゃんと人に教えられるだけの中身を持っていなかったのではないかと思います。骨法を抜けた矢野卓氏の話からもそれがうかがえます。
梶原一騎よろしく、カルチャーでの紹介。
服装や髭のようなビジュアル。
書籍に書かれたエピソード。
歴史の捏造。
習得したのではなく、真似ただけの技術。
悲しいかな、結局、堀辺正史に中身が伴ってなかったんです。
理論、文章は書けたのですが。
格闘オタク気質の延長上にあったのが、喧嘩芸骨法だったという事だと思います。
大東流や不動禅のほうが、全然中身はあるんです。
武芸者の話なんて昔からテキトー。山にこもってたら天狗が来て教わったのが我が剣法だ、とか、当時はそういうのがハクが付いたんだろうけどね
世に出るのが20年早ければ、どうなっていたことか。
20年遅かったために、極真空手(というか空手バカ一代)に
なれなかった、惜しまれる流派。
という台詞をどこかで見たが、全くその通りだと思う。
総合格闘技なんかなく、格闘技情報自体がロクになく、
テレビや漫画と口コミだけが全てだった時代に、
立ち回っていれば……
極真だってそうだが、人気を獲得して
組織が大きくなり、人間が多数集まれば、
その中に天才が混じって来るからな。
運動神経がいい、体格がいい、根性もあって頭もいい、
「どーせ何をやっても強くなる、天然で最強」な人が。
その天才の個人的好みに合致して、
その天才が参加してくれれば、自動的に
「その流派」に強い人間がいる、ということになり、
「その流派」が強くなる。他流試合でだって実績を出せる。
梶原のような、超有能専属宣伝マンがいなくても、独力で
あれほどのブームを創り出せた堀部氏があの時代にいれば、
充分に可能性はあったと思う。骨法が、空手バカ一代のルートを辿り、
そして現在の極真に取って代わっていた可能性が。
奈良時代から伝承する「徹し」が途中から拳から平手になったのは堀部先生のフロンティアスピリッツの証し
高校時代に部活動の先輩から骨法という格闘技知り本やビデオ買いあさり独学で練習したな。入門したくて近くのジムで道場生の人と会話したのはよい思い出。
ジークンドー いいとこ取りしてもコアの部分はぶれなかったので成功した例
骨法 いいとこ取りしたけどコアがブレまくりで専門家に勝てなくて失敗
『闘将ボーイ』ってマンガでも
フューチャーされてたりして、当時は
「マスターすればケンカ最強になれる」と
思ってたんですけどね…
武術なのに、武器をメイン、体術をサブ、としての戦い方を忘れた骨法ww
骨法の使い手が出た漫画は永井豪のバイオレンスジャックと永井豪が月刊マガジンで短期連鎖したので女王に成る前の卑弥呼に使えた骨法使いが主人公の作品が有った。
このときは、ダイナミックプロは、
骨法を、後押ししてました。
バイオレンスジャックの骨法編は、
作品としてみたら、面白いです。
このエピソードの主人公が、徹しという、
修羅の門の虎法に似た必殺技で、
敵のスラムキングに放ちますが、
通用せず、地割れに落ちて、死んだ...
と読者に思わせるようにして、
スラムキングと2度目の生死の
戦いをします。
堀辺氏は、商売上手だったのですね❤️💰
👊 とぉし~ッ‼️
その後を描いた
邪馬台国幻想記(矢吹)
あるいは鋼鉄ジーグ
マンガの構成上仕方ないけど、二度目の登場で斧持ってるのは少しだけガッカリした
自分もこの作品で初めて骨法を知りました
徹しがなんかかっこよかったけど日本の格闘技には似た技が多くあるのを後に知って驚いたな
マニア向けエンターテイメントとしては最高峰だと思う
あの良き時代を現代に再現しようとしているのがウエイブだと思う
あーたしかに。言われてみれば、骨法の再現といえばしっくりくるわ
骨法は世の中に登場した時期と怪しい堀部の風貌や生徒の雰囲気がオウム心理教を彷彿させるものがあったな
若い頃ハマったよ骨法!家でビデオ観て練習してました笑❗️
鍋つかみみたいなグローブして、ペチペチ打ち合ってたビデオ見ました。
堀辺先生を非難するつもりは全くないのですが、脳内格闘技者だったのかなと。
胡散臭い物大好きなんで、大好物でした。今は、ウェイブなんとかが好きです。
真面目な話、格闘技経験者で指導もしている身ですが、こんな技術体系はありえないと思います。お弟子さんも、さぞ大変だったと思います。外野から見ている分には最高でした。ありがとう。堀辺先生。大好きでした。
この動画は骨法の歴史というより、堀辺師範の歴史じゃねーかwww
堀辺氏=喧嘩芸骨法
めっちゃおもろい動画でした!!!w 骨法といえばアンディ―ボガードの残影拳 世代ですw
どうもです(^▽^)/
なんかいつになく気合の入った解説でしたね。
骨法のダイナミックな変遷見ごたえがありました。
喧嘩芸骨法、骨法の極意、骨法の完成、全部持ってました。
同じくw
わしは会報誌一号を持っておるぞ。当時、書泉グランデで買ったものだが。スープレックス山田君も寄稿しておる。
懐かしいですね。
自分もその本持ってました。
地方在住なので直接の道場の様子は知りませんでしたが、格通は読んでました。
その後、2ちゃんねるで元骨法道場生達のスレッドが出来て、当時の内部の様子が色々語られていて、その中身に驚いたものでした。
酷かったんですね。
よう、同世代!
「喧嘩芸骨法」は何百回と読み返しました!
同じく。
喧嘩、喧嘩、喧嘩芸だ〜
堀辺先生の立志伝の書物はプロレススーパースター列伝外伝として読むもの。
普通に面白い
昔、気になったまま忘れてた骨法。
詳しく教えて下さってありがとうございます!
6:28 懐かしい骨法のテーマw
堀辺さんの骨法のビデオを見たことあるけど、掌底と肘打ち、膝蹴りが主体だったなぁ。
パンチより掌底の方が初速が速く出せるとか言ってたような😊
森部のじーさんの奥義って実はアレだったんですねー。
ライブアライブのスタッフに熱烈なプロレスファンがいたんでしょう。
やっとまともになったんですね。
そもそも「骨法」という独立した流派の武術は無かったんです。
だから「骨法」を一つの流派の武術として考えるなら、創始者は堀辺氏になります。
日本の古流の総合武術(兵法)の、徒手空拳の打撃術的な部分を「骨法」とか「骨指術」と称していただけです。
うわ、マジか。とうとうやりやがった。まさか骨法とは。
骨法を観たヒクソン「子供の喧嘩だな」という感想が全てを表している。
その後ヴァーリトゥードの大会で、大原、小柳津選手が出場するも負ける。
観客「なんなんだよ、骨法はよ〜」というヤジがいまだに耳に残っている。
骨法とはなにか、
俺の勝手さ!
「机上の空論、路上の現実」が喧嘩芸骨法だったんだけど、机上の空論だったのは…ってオチでした。
スーファミのライブアライブでは、あびせ蹴りにお世話になりました。
骨法というからには骨に関係する武術なのかと思ったら全然違ったw
手合いの間合い、とか、
なぜ、日本柔術(主に合気系)に片手「取り」や両手「取り」があるかを剣や武器を封じるということ(多数説)とは違う角度から説明した理論(少数派説)において、
堀辺氏を評価します。
昔、「少年サンデー」で連載していた『男大空』という漫画に神骨拳法という日本古代から伝わる架空格闘技が登場して、後に骨法が世に出た時「これはリアル神骨拳法か」と思った。
その少し後に、朝松健がソノラマ文庫から出していた『私闘学園』というジュブナイル(ラノベという言葉は未だない頃)に、骨法をおちょくりまくった架空格闘技「畳芸滅法」が登場した。
格闘技雑誌の手の平返しというと、アルティメット大会前に編集後記だかで「グレーシー柔術というブラジルの格闘技の試合のビデオを見たけど、馬乗りになって殴り合うような子供の喧嘩レベルのものだった」的なことを書いていて、アルティメット大会後にグレーシーの技術を絶賛しだし、当時「お前ら『子供の喧嘩レベル』とか言っていたじゃねえかよ」と思ったものだった。
骨法……私のような凡人には理解できない武術だったのか………
この先ひょっこり真の骨法伝承者が現れて、師範代もろともボッコボコみたいなオチありそう。
ブラジル勢と関わってしまったのが過ち。独自路線を貫いていれば、
実はここ、グレイシーが流行りだした後柔術的なこともやってて、当時日本で数少ない柔術を練習したい人が集まってできる場所だったのよね。現日本ブラジリアン柔術連盟会長の中井さんとかうちの道場の代表もお世話になった。
太古から続く伝統武術の壮大な消長の物語だった
今となっては掌打を世に広めたのが唯一の功績になってしまった
なんだかんだ言ってビンタは痛いし脳に響くしなw
顔にグーパンチは拳骨折する可能性高い。
のでマウントパンチって実はそんな実用性高くない。
ケンカに勝てるかもしれないけど拳骨折したら
ほとんどの仕事に影響出るし
@@ブライス-g5l ただ掌打も相手の目に指が入って失明の恐れがあるんだよな
Uインター時代に掌打で何度か相手の目に指が入って事故になりかけたこともあったし
@@ゴンベエ-c1l 目潰しはバラ手が基本だから、用法の変化としては正しいっちゃ正しい。
あの当時の刑事ドラマで布施博演じる刑事が犯人に掌打を打っていた。😲
高校の頃に部活のOGの人に教えてもらった!一度道場見に行こうとしたけど休みだった!
ついに来たー❗😆✨
主さんの動画はマニアックで好き❗
刃牙の連載開始が10年早ければ地下闘技場トーナメントに堀度正史が出てたはず
本部のモデルは堀辺先生
@@山本太郎-q7f 名前以外は全く違うけど多分板垣恵介の感じてた胡散臭い武術家全部載せにしたキャラなんだろな
ボクシングでインターハイ出たり地獄のような空挺部隊に所属したり、超実戦経験のある板垣さんが骨法に惑わされるとは思えないよね。惑わされて広報活動してた文化人達とは違うと思う。
「闘翔ボーイ」で「骨法」を知り、当時はほとんどの打撃系格闘技部の面々が大の社会人になってるというのに(笑)「浴びせ蹴り」を真似てやっていたなぁ・・・・。実に懐かしい!!
懐かしいな
小学五年生の時に読んでました
あった!「闘翔ボーイ」!マガジンだっけ?あれで初めて骨法の事知ったんだよな~。中学生だったから本気で信じてたよ。
骨法には,打撃だけじゃなくて裏かんぬき鷹羽締め(プロレス技のチキンウイングフェイスロックw)脇固めなどの関節技、
バックドロップ【名前忘れた】もある!とか紹介してるの見て 骨法スゴーイ!って思ってましたね。ようは取材にいった漫画家が新日本プロレスの若手が骨法に習いに来てたんでプロレスのような関節技や投げ技も有るんですか?って聞いたら
その若手レスラーでもある骨法使いにプロレス技やらせて、これも骨法にある技だ!って言っただけだそうです。←20年後ネットで仕入れた知識です!他にも永井豪のバイオレンスジャックにも骨法使いが出てきたりして面白かった!。田舎に住んでたから骨法習った事無いけど 20くらいまで堀部さんの本は当時、田舎で買って読んでましたね。
今はうそってわかってますけど当時は全部信じてましたw
武術の部分は良く分からないけど、東中野の骨法整体はマジで効く!行く前といった後で体の調子が別人の様に良くなる。
あれも、カイロだけどね。
骨法はいろいろと考えさせられることが多い。
骨法はバーリトゥードでの強さを喧伝したかったのだと思うけど、MMAジムになりたかったわけではなかったのだろうと思う。
しかし、バーリトゥードで勝つためには、言い方は悪いが、MMAジムに成り下がるしかなかった。
今ならわかるが、ボクシングで勝ちたければボクシングジムにするしかないし、レスリングで勝ちたければレスリングジムにするしかないのだ。
成り下がるという表現をしたのは、決してMMAジムを見下しているわけではない。当時の骨法は、書籍やコミック、雑誌などのメディアにより一種のブランドであった。
ブランドであったので、MMAジムには成り下がるしかないのだ。
また武道を強調し試合は死合などといった発言によりファンを増やしたが、同時に敗北が許されなくなり自分の首を絞めた。
勝ち負けのあるスポーツをしていればわかるが、勝負をすれば片方は勝ち片方は負けるのであり、敗北は身近なものだ。あまり重々しく考えすぎてはいけない。
今日はそんなことを思いました。
素晴らしい意見だと思います。
@@確固不抜-b5l
ありがとうございます。
でも、そんなにたいしたものではないです。
結局グレイシーの戦法は喧嘩で一番重要な「足の機動力」を捨ててしまうわけですから、そんなのおかしいだろとツッコミを入れて独自の喧嘩芸路線を進んでいればなあなどと思ってしまいます(^▽^)/
@@yukkuribujutsu
そういや、喧嘩芸骨法から、日本武道傳骨法に名称変更してましたね。
メディアを利用して伸びていたので、避けることが出来なかったんじゃないですかね。
当時のバーリトゥードってルールの過激な異種格闘技戦だったんですよね。今になって情報がある状態で見るとMMAじゃんってなりますけど。
当時は、現在使われている、
"MMA"
(→Mixed Marshall Arts)
という呼称はまだ無かったです。
"バーリ・トゥード"
というのはブラジルにあった試合スタイルで、グレイシー柔術はそのバーリ・トゥードの中で発達したのだと思います。
アルティメット大会かアメリカで開催された事で、"バーリ・トゥード" とグレイシー柔術が日本に知られるようになりました。
当時は、"何でもあり" という言葉も流行りました。
喧嘩芸骨法の時代には夢があったな
堀部正史さんは古来の『骨法』の伝承者ではなく実践格闘技としての『喧嘩藝骨法』の創始者の側面を強く感じる。
わざわざ「喧嘩」を付け加える所にもはや可愛げすら感じてしまうぜ
親が東條英機のボディガードだったとか、バリバリの経歴詐称でしたね。
感じるのはお前の勝手さ
それは紛れもなくやつさ
@@泉此方-v7kさん
街を包むMidnight fog 孤独なsilhouette動き出せば
某餓狼伝説のアンディの武術スタイルは骨法とのことだけど、不知火半蔵(舞の祖父)のところで忍法を学びながら、ついでに東中野へ行って堀辺氏の喧嘩芸骨法を学んで骨法にハマッて(喧嘩芸の方の)骨法をメインで使ったのか、不知火半蔵の元で(喧嘩芸じゃない方の)日本伝来の骨法を習ったのか、、、謎はミステリーを呼びますねぇ、、、。
@@freesiaboysince
仮説1
堀部の愛人が舞
仮説2
両流派は併習が推奨されている
実はあの黒いユニフォームは
巨乳の女性用で
三角の構えは舞の服の
パンチラ覗き用
仮説3
実はジェダイの騎士の
ライトセイバー流派みたいなもんで
各々の流派は「舞」と呼ばれる
身体操作の利用法の差であり
燃えよ剣の土方歳三が
脛斬りからリュウゴウ流の使い手扱いされたように
「道場で学ぶうち完成したスタイルは客観的見て骨法に近い」という
自意識から自称した
こんな感じ
堀辺さんの骨法が本物でないとか、うさん臭いと皆さんが言われるのも無理ないと思いますよ。なんせ実績が伴わなかったですしね。でも僕は堀辺さんが好きでした。どういう点でかというと、第一回UFCでグレイシーが出て来た時です。僕はグレイシーの勝ち方とかに不思議な感じを覚えてたけど、ほとんどの格闘家等は「あれは子供の喧嘩だ」とか「レフェリーがダメ」とか言ってて誰も僕が求める答えを言わなかった中で堀辺さんはグレイシーの良さを分かりやすく教えて解説されてました。例えばスポーツと武道の違いとか、なぜグレイシーは強いのか?とか、「柔術に殺なし」「活殺自在」等の言葉を用いられ、古い日本人の観念や日本という国に住んでいながら日本にカルチャーショックを覚えたくらい、とても研究されてました。いろんな点で批判されてる人ですが、僕はその点だけでも堀辺さんを尊敬していますし、堀辺さんとターザン山本さんの対談本「グレイシー柔術の秘密」という本は今でも宝物です。
骨法の事は、忘れろ❗(笑)👍️
とうとう骨法に行きつかれましたか‥苦情は一切受け付けてないとのことですが、
ならば苦笑では如何でしょう?
永井豪氏のプロレススーパースター列伝みたいな紹介漫画を読んだことがあります。
ファンタジーとしてはめっさ面白かった記憶が。
本棚に骨法の本とビデオテープがまだありますw
スーパージョッキーのガンバルマンコーナーで整体やってたなあ。面白かった😅
堀辺師範の最大の功績は、
ビッグバンベイダー誕生に一枚噛んでること
まあ、新しい技術を取り入れる姿勢は評価すべきだと思うよ。
中拳を修める者の多くは今でも祖先の技こそ至高!って思ってるし
俺はそれに嫌気をさして散打に転向した
確か戸隠流忍術に骨法体術というのがありましたよね。
ケンカのとき平手は合理的
ブロック塀背負った相手を拳で殴ったりすると避けられた時のダメージときたら
あと歯に拳があたるとかよくある
ちゃんとした打ち方身に着けなかったら、掌底で効かせるのって拳の何倍も難しいですよ。
当時骨法の本で紹介していた"カニ歩き"みたいな創作物では無理です。
@@通りすがり通りすがり-b9h
そうですねちゃんとした掌底の効かせかた、というのはちゃんとした拳の握り方や効かせ方と同じぐらい難しいと思います。
つまりどちらも難しい。問題はそこではなくて自損のしづらさを言っているのです
あと平手では少林寺拳法のバラ手での目打ちなどは本当によく効きますしよくあたる
ブロック背負った相手にどっちでなぐりますか?拳って本当に怪我をしやすいですよ
@@manbongo1588 さん。
フルコン空手の道場内での組手なんかだと、パワーのある人に壁際に詰められるとメッタ打ちにされたりしますよ。顔面は打たないので中段突きのラッシュなのですが。押されて背中が壁にもたれる姿勢になってしまうとなかなか抜けられません。そうなる前に横に動けないとアウトです。まあ、顔面無しの組手でのケースですが。
顔を殴れる場合でも、相手が壁を背にしたらチャンスの方もデカいと思いますよ。拳で殴る場合でも、ストレートにこだわる必要は無いですから。フックも顎狙いのアッパーも打てます。背中を壁に押し付けてしまえば、アッパーなんかはかわせなくなります。
蹴りも限られてしまいますけど、踵の前蹴りとか膝蹴りとかはやりたい放題です。
掌底は、牽制とか軽く打って崩すとかだと問題無いんですけど、倒そうと思うと難しいです。
拳と掌だと、肘から手の先までの長さが変わるんですが、リーチが短くなる以上に、この短さで威力が全然変わってしまいます。短い槍と長い槍の違いみたいな差が出ます。ハンドスピードだけの手打ちだと効きません。体全体で打たないと、ストレートでもフックでもアッパーでも威力は出せません。拳とは、尖端に塊状の重心のあるかないかの違いもあります。
あと、護身で使う分にはいいと思うのですが、喧嘩で目や金的を狙うのはやめたほうがいいですよ。相手に本当に大怪我させるような事はしない方がいいです。後々、関係修復なんかも出来なくなってしまいますから。自分自身が目や金的を狙われても対処できるように想定しておく事は大事だと思いますが、喧嘩などでは自分から使ってはダメです。
やむなく行う"護身"と、"喧嘩"は、分けて考えておかないとダメです。
@@通りすがり通りすがり-b9h
長文の返信ありがとうございます
その通り目打ちは効果抜群でしかも力みの問題もリーチの問題も簡単に解決してしまいます。なんなら練度もいらないでしょう。おまけに壁際に押し込んで腹を連打することや地面に押し倒して顔面を拳で殴る事に比べれば目打ちの相手に怪我をさせないことは圧倒的に上でしょう。死なせないもの
まさに護身
相手がフルコンのパワー系ならという仮定のはなしなら、僕が井上尚弥だったらどうする?避けちゃうよという反論をしておきます。
しかも壁際に押し込んでめちゃくちゃ殴ってくるフルコン相手に目打ちを我慢して関係の修復など出来ようもなく自分の命が危ない
「オレは壁際に押し込んでむちゃくちゃ殴るけどお前は目打ちなんか危ないからするなよ?」っておかしくないですか?
あくまで平手と拳の自損のし辛さの比較なので相手と自分の実力差の話ではないのです
壁際の攻防で相手との力量差を考慮すると平手と拳どころではなく、例えば名門ラグビー部のプロップあたりのタックル一発が恐ろしいし、なんならナイフとかの刃物がありえるしでケンカはしないに限ります
でも一回バラ手の目打ちをしてくる相手を想定してみるとずいぶんケンカのシミュレーションも変わってきて面白いとおもいますよ
@@manbongo1588 さん。
拳か、掌・開手か、で、
何かテーマを持ってらっしゃるのですか。
まあ、自分の話も、ただの例えだったりケースの紹介なだけですから、あまり気にしないでください。
いろんな状況や相手を想定してみる事は、武道では大事なことですよね。
互いに合意があるならそれは喧嘩。
一方的に襲われたなら護身。
刃物が出てくるなら、それはもう喧嘩の範疇を超えますよね。
護身です。
身を守る事が最優先になります。
危ない事をしてでも対処しなければならないですよね。逃げられないなら抵抗手段は選んでられないです。相手を動けなくする事が優先します。まず、よほど場慣れしてる人でないと、落ち着いて対処なんて出来ないですよね。
乱取り、組手、対人練習の経験を積んでる人の方が相手のさばき方を知ってる筈が、刃物相手だとそれが命取りにもなりかねない…という部分もあります。
危険な状況を想定するなら、目や金的を狙う攻撃を研究しておくのが大事なのはその通りかもしれません。
目を狙う攻撃も、流派によって色々なやりかたがありますよね。
少林寺拳法のバラ手打ちは裏拳に似た打ち方をしますが、手の平側で指を曲げながら打つ方法もあります。
直接的に、指先で触りにいく方法も、下からすり上げながら触れにいく方法もあります。
ジークンドーや八卦掌なんかは、基本から目狙いだったりします。
ちょっと相手にしたくないですよね。
喧嘩についてなのですが、
目狙いのような危ない技は、使ってしまうと場のチャンネルを切り替えてしまうような部分があります。"こういう事もするやりとりだよ"と宣言してしまう事になるんです。相手も手段を選ばなくなります。一気に危なっかしい事態に変わります。相手にとって、自分が"手加減してられない相手" "配慮のいらない相手" になってしまうんです。
危機を招くし、不毛だし、
マイナスの部分を考えておいた方がいいです。
もし自分から仕掛けて、相手の目に本当に傷をつけてしまったら、治療費や慰謝料に話は発展します。
でも、少林寺拳法のバラ手打ちは、そこまでのダメージにはなりづらいかもしれません。
その辺りは考慮してるのかもしれないですね。
それでも、喧嘩で使うと厄介なことになる点は同じだと思います。
骨法・・・・アンディ・ボガード
アンディはタン老師ではなく堀辺先生に師事していた訳ですね。
木城ゆきとの「銃夢」にも、骨法使いのフォギアがいました。
カッコよかったのにな…。
元の骨法があれ程ダメだったとは。
@@daikonmahi 不知火舞の爺様から教わったハズ
アンディの技は躰道に近いような気がするのは私だけ?
ミッション終了
ただの高校生さ
kofには骨法の使い手アンディ・ボガードがいるから…
弟武術家で
兄貴タダの我流実践屋って
よく居るよね
悟空ラディッツ
鎬兄弟
小学生が授業中暇すぎてする妄想を具現化したらこうなる
喧嘩芸の時は合理的な体系を創れたのに何故端から見ても明らかにおかしい方向に改変してしまったのだろう?
故、堀辺氏は。
骨法の大会のビデオ見た事があるんですが、倒れている相手の顔面に頭突きしたり、関節技が決まってる状態で場外に逃げてもそのまま引きずり戻されて再開するとか、他の武道や格闘技ではなかなか見られない展開が多くて迫力がありました(*´∇`*)
高校の時に骨法の本を読んで心酔していましたww
私もその後の流れで骨法から心が離れた一人です。
最近、RUclipsでスーパージョッキーのがんばるマンのコーナーに骨法が出てい動画を見ました。
なんと、掌打では無く拳を使っていましたw
骨法は目潰しとか金的、の急所攻撃や噛みつきみたいな禁じ手を真髄としてるから大会には出られないみたいな設定にしてたらよかったのに。
逆にグレイシー柔術が骨法みたいな厨二病的設定を作ってたら信じられてた可能性高いのかもって考えたら面白い。
グレイシーはルタリーブリとかガチ(喧嘩)に明け暮れてたから、そんな中二設定は通用しないかと
グレイシーは、前田光世から教わったルーツをそのまま紹介してましたよね。もとは柔道だったと。
あと、グレイシー柔術は、
"バーリ・トゥード"という闘いの場があった事で洗練されたのでしょうね。
まっそれは堀辺の作り話で日本書にそんな話はない 発勁見たいな技をやってはいたが動かない人間に螺旋状に打撃をうてば誰でもできるようになります(笑)オイラも最初 その本を見た時はスゲーと思いましたがクレーシー柔術が出てきてなんでもありの試合になぜ骨法でないだろうと小学ながら考えてました(笑)堀辺が勝手に考えた技で掌 手だけでうつ技もすごいと思いましたが実際やると至近距離でもパンチはうてるんですよね(笑)昔は 立ち技だけで倒す見たいな格闘技だけでしたがクレーシー柔術のように転がせば簡単に人は倒せるんですよね(笑)結局金的は有効な技でしたが手(掌)打撃もパンチの方が有効なんですよね 結局アントニオ猪木に教えたことで話題性を呼び 実戦では使えなかったのでしょう
コッパーの人達に見せてあげたいこの動画!
色々と議論あるのは承知しています。
ただ一つだけ、掌打は使えます。
素手の拳だと耐えられない衝撃を吸収できます。
デメリットは距離感ですが、理解して使えれば大変有用な攻撃手段になります。
骨法ウンヌンは、控えます。
あくまでも『掌打』は、大変有用です。
マウント取ったら最強だった当時、骨法はマウントから抜け出す方法を発見したといって実践したが、抜けられず。その方法の理想と現実を連続写真で解説したうえで「今後本誌は骨法を取り上げません」とした格通(多分)は衝撃的だった。なので「負けたから手のひら返し」でもないと思おう。鑑真を錦の御旗にしたり目玉商品がこけても新商品を開発していく逞しさ…これこそが秘伝中の秘伝。
後期に爪隠しって掌底型のグローブを使って掌打をやってたよね?
奈良時代からの……😲
一番すごい掌底を見せてくれたのは、バスルッテン。
骨法は絶えず変化し進化する武術!
そのうちマシンガン使います
THE OUTSIDERに出ていた樋口武大選手は総合格闘術骨法烏合會 矢野卓見道場に所属とあるけど堀部正史氏の流れを汲んでいるのだろうか?
継続は力なり、といったところか。
ブームだけで終わらず、彼らなりに追及継続したことは評価できる。
具体的な格闘内容は知らん。
ペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチ!!
ロマンがあったなぁ。
堀辺先生や、廣とさんは
カッコ良かったし。
なんかの情報だと十代くらいは剛柔流やっていたみたいですね。台湾かどこかで中国武術も教えてもらいにいってたらしいとか。大東流も習ったようですね。いわゆる代々云々の系譜も大東流の系譜から拝借していると思う。大東流のも?だけど…。当時としては体が大きくてやっていたから喧嘩は強かったとか。
触れ込みは嘘でも技術体系は素晴らしいと思う。使えるなら触れ込みなんかどうでもいいよ。
一番知りたいのは、堀辺さんが本気で相手の身体を突いたら、背骨まで砕ける衝撃を与えられるのかということ。有名な八極拳もしかり。
殺人は出来ないから、手加減していて真の強さを披露できないまま、グレーシー武術などに、惨敗してしまうのは骨法としては屈辱であり、とにかく、他流派に人前で勝利しないと面目がたたないから、ミックスして我流武術になり、中途半端になってしまったのか。繰り返しになるけど、本当に一撃で致命傷以上の強さがあるとしたら、それを証明できないのは砂を噛むような思いだったのではなかろうか。
本当に致命傷以上の威力を出せたのに手加減の結果試合成績が振るわなかったとなると、威力の研究が為されてないどころかそもそもの話、その威力に到達できる力がなかった証明になると思う。
0から10までの威力で10が致命傷を出せるのに加減した結果、打撃力で競り負ける(動画の田原選手で考えると)のは相手が5であったら自分は3なり4なりだったということ。
ここで10を出せないから3に甘んじたと言われても、実戦に使える技の研究も洗練もされてない証明になるし、そんなものが本当に一撃必殺を実現できるかというと疑問。
こんな書き方してるけど古本屋で見つけた骨法の本を買うぐらいは好きです。
@@宮里-s6q 様 理論を持ってらっしゃいますね。僕など武術を何も知らない人間が持論を展開すると、詳しい方からすると可笑しなことを書いてる事でしょう。返信してくださったので感謝致します。
@@宇都泰隆 自分もずっぶずぶの素人です。理屈で考えたらこうかな?というだけで。
実際に車もそうですがブレーキの制動やエンジンブレーキの減速とではかかる力も出し方も違うと聞くので、格闘における打撃力の出し方が絞る動作に集約できないと、こういったことも有り得るなと思い疑問に留めました。
格闘は理論が大事だろうけど、見る分には何より夢があったほうがいいですし。
こちらこそ返信ありがとうございました。
修斗だって第1回バーリトゥードジャパンでエースの川口選手が惨敗したけど、第2回大会では中井選手が一回戦のゴルドー戦で片目を失明しながらも勝ち上がって準優勝(優勝はヒクソン・グレイシー)して雪辱を晴らし、その後佐藤ルミナや山本KID徳郁等のスタープレイヤーを輩出し、いろいろ運営上の疑問は残るものの一定の地位を格闘界で確立して存続していることを考えると、たった一度の失態で喧嘩骨法を全否定してしまう格闘メディアや格闘ファンの姿勢は如何なものかと思います。
まぁ小柳津さんが小学生相手に事件を起こしちゃうからいずれにしてもダメなんですけどね。
修斗と骨法の違いは、
"競技として確立しているか"
という点ですよね。
佐山聡が、プロレスの中で、カール・ゴッチからヨーロッパのサブミッションや、ムエタイの蹴りを学び取り入れたように、当時まだ無かった、様々な技術を取り入れた「総合格闘技」という競技のルールやジャンルをいち早く作った事が、佐山聡の凄かったところです。"流派"ではなく、"競技"という"実力測定の場"を確立したところです。実際、中井佑樹は高専柔道、KIDはレスリングのベースがあり、その技術を用いたスタイルで競技の中で戦ってました。
堀辺正史は、その測定の場を、
"路上の喧嘩"と"想定"して当初スタイルを作った筈でしたが、堀辺正史の身に着けていたものが、"バーリ・トゥード"という制約の極端に少ない競技や、その中の寝技に対応出来なかったんですね。
だから、道場内で直接 技術的な指導を弟子に対してちゃんと出来なかったんです。
"競技"を確立した佐山聡と、
"スタイル"の構築が出来なかった堀辺正史。
2者にはこういった違いがあります。
あと、道場経営がダメだったとこも、堀辺正史にはあるようです。
月謝以外の弟子への金銭要求などもあったそうです。
@@通りすがり通りすがり-b9h
佐山さんが修斗を出て行った(事実上の追放)後に作った掣圏道が路上の喧嘩を想定したものになったのは、喧嘩藝骨法からすればなかなか皮肉な感じですね
@@backzan さん。
制圏道にはちょっと閉口しましたね…(汗)。
立った姿勢、寝た姿勢、局面を問わずに打撃を行なうというコンセプトは実際時代の先端を先取りしていたので、さすがだなぁ、と思ったのですが、あの道着と、敬礼しながらの"押忍"の挨拶は、ドン引きでした。あのセンスの無さは何なのか(汗)。
あの辺りの衣装のセンスに関しては、堀辺正史の勝ちですよね。
@@通りすがり通りすがり-b9h さん、初めましてm(_ _)m 似非格闘ヲタクのオイラから観ても佐山氏の創設した制拳道の道着には『呆れ』ましたねw 何故あんなチープな『背広モドキ』の道着にしたのか💦 今なら某レンホーでは無いですが『普通の空手着じゃ駄目ナンですか?』と言いたいです💦(;^ω^)
グレイシーが表に出てから強さだけなら総体的に上昇しましたが、浪漫がなくなってしまった。
今でもウェイブとかローコンバットとかツルギ護身術とか
クラマがとか1616ある
厨二キャラは正中線をガードしてローキックと掌で戦うイメージがありますが
その源流がこれなのでしょうか?
道着がコロコロ変わるのも面白い武術でした
特に初期のレオタード
日本古流武術なのにレオタード?
しかも師範は絶対着なかったね
どうしてそうなった?
倒し方、独特ですね!
へ…変化する者が生き残るから…(震え声)www
だ、ダーウィンも言ってるだろぅ…?
て、適者生存…?
遂に扱いますか
骨法と言えば堀辺師範の他にプロレスラーの船木選手や元プロレスラーのライガーさんの名前が上がりますよね?😁
此処で骨法と詠春拳の繋がりにかなり驚いたのは記憶に新しいですもん
そんな骨法について何が語られるのか
プロレスやジークンドーを始めとする近代格闘技との繋がりや他の武術との繋がり辺りを期待します。😊
平安後期の源義光の孫が300年後の室町幕府の常陸守護っていう時点でもう(笑)ですな!佐竹は頼朝に敵対したので鎌倉時代は守護じゃなかったし、室町幕府においても侍所の長官になれる家格ではなかった(笑)「胡散臭い」というより明確な誤りが多々含まれる骨法伝説がここまで流布したのは堀辺先生の功績ですね。堀辺氏が佐竹氏の庶流家であるのは事実みたいなので虚実入り混じっているんですね。骨法の権威の象徴である『中右記』の「骨法」の記述に関しては他に類例がないので学術的には謎ですが。。。
なるほど,つまり頼朝は骨法を恐れていたということですね(^▽^)/
小柳津選手は後に、、、。
カガミノクラ、ツルギノくら。についてはある整体家が取り入れてる。
「都合の悪い事は忘れよ!」
まぁ、骨法って堀部サンの流派だけではないんだけど、当時のいざこざでアンディ・ボガードの使う武術が不知火流忍術に変わったのはご愛嬌w
@@kaziida999 おお、詳しい方がいて嬉しい!
古流柔術の伝書にも記載がありますね。
今でいう整骨術や解剖学的な口伝をしてる流派もありますが、今の世には結構失伝しているのが残念。
串カツじーさんの名言ですね(^▽^)/
堀辺正史の創始した"骨法"と、
他の古流武術の中にある用語の
"骨法"は、全く別のものですよ。
混同してはいけません。
ゲームの中のフィクションをゲームのジャンルの中だけで真面目に考察しても、あまり意味は無いのではないでしょうか。
昔なんかはゲームを制作する人も武術や格闘技に関する知識はあまり無かったみたいですから。
刃牙でオロチと戦ってほしい😊
何かの雑誌で読んだんだけど、骨法が人気だった頃格闘技雑誌等に骨法の批判的な記事をだすと堀部氏から凄いクレームがあり、その記事を書いたライターに圧力をかけたってことですね。
その時の雑誌の記事でも、ハッキリ人名は避けてたけど、当時世間を騒がせたオウムの麻原彰晃似のような奴だと言い、奈良時代や親父が誰かのボディーガードとかって言ってたし。
総合格闘技戦で結果がでないことで、格通等から絶縁されたしクレーム入れられたライター達は誰も助けなかったのかも。
1990年代に格闘技とは関係のない雑誌の編集をしていました。
堀部氏から無理筋で恐喝のようなクレームが編集部に来たことがあり、それ以来堅気の人ではないと見ています。
オカマの喧嘩スパーリングで爆笑した思い出しかない
骨法さんも大変やね🤭
喧嘩芸骨法、フルコン空手にUWFやシューティング、漫画は修羅の門に拳児。
あの時代の地上最強ブームは今振り返ると笑えるところは多いけどあの胡散臭さが面白かったのは事実。
そういや、堀部正史の自伝?エピソードは漫画になってたな。
中学生時代の喧嘩で鎌ヌンチャクはねーだろうと大笑いした記憶。
ヌンチャクというと、「CUFFS傷だらけの地図」みたいな世界観かな。
典型的なペテン師。猪木さんや船木さんは、なんでこんなのにひっかかったのかな?
そういえば矢野さんだっけ?「堀辺、俺と闘え!」って挑発してた人。いまどうしてんだろう。
ペチペチビンタしてる格闘技のイメージしかない
拳法 鷹の爪?とか名乗ってた時期も
吉○慶雪?と共著があった記憶が
換骨拳とも関係あった様な
大東流の後、S金兵衛道場ともいわくがあったと聞いたことが
堀辺骨法は完全に堀辺さんのオリジナルなんだろうけど結局のところあくまで「武術」としてありたかったのか?
それともルールある「スポーツ格闘技」として盛り上げていきたかったのか?
どうにもわからんのよね
オイラ個人の意見としては堀辺氏は”喧嘩藝骨法”を「武術」として成り立たせたかったのだと思います。でなければ、アソコまで格闘スタイルがコロコロと変わらなかった筈。ただソレ故に堀辺氏の”貪欲さ”が”喧嘩藝骨法”の迷走を招いた事も事実(;^ω^)
PS・資料が残って無いッて事は『ジャパニーズボクシング』は”黒歴史”って事なんでしょうね(~_~;)
引っ越す前に少し通ってました。
第一回骨法の祭典の直前くらいでした。今では矢野卓見さんなども暴露してますが、本当、初日に雰囲気を察しましたね、「あ、これは…武道っつーより新興宗教だ…」って。それでも、骨法の歴史なんて全て捏造のデタラメだとわかっていても、それでも楽しかったんですよねぇ(これも矢野卓見さんも同意見)。骨法で貴重な時間を台無しにした人は多いですよね…